歴史:ポルシェ356を現代に伝えるインターメカニカを選ぶ理由はここにある!インターメカニカ356の基礎知識、メンテナンス、購入ガイド

  • カルマンギア Karmann Ghia Porsche
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1971年式インターメカニカ イタリア

トリノで始まったインターメカニカの歴史

カナダに本拠地を置くインターメカニカインターナショナル社(IM社)は現在ではポルシェ356とキューベルワーゲンのレプリカを生産し、広くレプリカメーカーとして知られています。

しかし、もともとは60年代からは本拠地をイタリアのトリノに置き、オリジナルデザインのスポーツカーやスーパーカーを生産していたことはあまり知られていない。
※写真は1973年ジュネーブのモーターショーにてIM社とポルシェ社が並んで出展しています

1959年に設立されたIM社はルノー、シムカ、プジョーなどのスピードキットを手がけていました。1960年にはプジョーのエンジンをチューンしたクラス最速マシンを売り出したりもしています。

オリジナルカーを1959年に発売!

ポルシェ356 インターメカニカ レプリカ 空冷そして同年には初めてのオリジナルカー『IMP』(写真左)を開発しました。空冷2気筒500ccの水平対向エンジンをリアに積んだ2座の小型スポーツカーでベースはシュタイア・プフ(フィアット500のボディとシャーシとフロントサスペンションにオリジナルのエンジンとミッションを載せたクルマ)。

ヒルクライムやレースではアバルトをも打ち負かして、優勝するなど輝かしい功績を残したクルマでした。しかし、フィアットグループのアバルトを負かしたことから、フィアット社からパーツの供給を止められ21台しか生産できなかったそうだ。

名車を次々とリリース!知らざれぬインターメカニカの栄光!

ポルシェ356 インターメカニカ レプリカ 空冷1961年からは名車『アポロGT』を開発。フェラーリのような美しいボディにビューイックのV8エンジンを積んだスポーツカーは100台程度生産された。
※映画「ラブ・バグ」にも出演したアポロGT

1965年にはTVRグリフィスで名を残したジャック・グリフィスとのプロジェクトでアポロGTのスチールボディの生産契約をした。生産開始早々ジャック・グリフィスの会社が倒産し、初期のロット33台は『グリフィス』と呼ばれる予定だったが『オメガ』の名前で販売された。その後フォードのV8を載せ『トリノ(のちにイタリアに変更)』と名づけて販売。70年までに約500台が生産された。

美しい数々のGTカーはコンクールデレガンスにおていも高評価!

ポルシェ356 インターメカニカ レプリカ 空冷その後GMグループのオペルと契約し、オペルのコンポーネンツを使いシボレー351のエンジンを積んだ『インドーラ』(デザインはフランコ・スカリオーネ)は125台が生産された。73年のニューヨークショーに出品されたインドーラは多数のバックオーダーをかかえるほど大成功を収めたが、GMが急遽オペルもシボレーも両方のパーツの供給をストップ。理由はオペルがインドーラに変わるモデル『ビッターCD』を発売したから。

そのためIM社は苦境に陥ることに…。ビッターCDはインドーラのコピーだと裁判に訴えられ現在も係争中だとか。。。
その後シボレーエンジンを使えなくなったインドーラはフォードエンジン載せアメリカに生産拠点を移す。ところが移住した1ヵ月後に計画がキャンセルに!IM社は35万ドルの損をした。

世界中の356ファンも一目置く存在

ポルシェ356 インターメカニカ レプリカ 空冷しかしIM社は75年にポルシェスピードスターのレプリカの生産治具を開発し76年から3年間で600台の356スピードスターを生産。しかしパートナーがIM社の株式を50%買い取ることでIM社はこの計画から撤退。
※完成車として生産されたのは100台程度ほとんどはキットとして販売されている。

81年からカナダのバンクーバーで356コンバーチブルDに基づくモデル「ロードスター」を開発。85年から生産を開始し現在に至る。(記事は雑誌NAVI175号より)

日本にインターメカニカを持ち込み、さらに毎年完成度を上げていき、北米でも継続してインターメカニカ車がブレイクしているのはウルフブルグ商会の故 堀井氏がいたからです。

一人の日本人により新たな歴史が幕開けた

ポルシェ356 インターメカニカ レプリカ 空冷ポルシェ356の大ファンであった兵庫県加古川市在住の一人のレストランオーナーがいた。

氏は何度レストアしても思うように仕上がらず故障を繰り返す自身の愛車ポルシェ356に嫌気がさしたそうです。

ある日雑誌でインターメカニカ356スピードスター(ワーゲンシャシーのモデル)を見て、IM社なら満足のいく356を作ってくれるに違いない!との強い思いにより、単身カナダのIM社へアポ無しで乗り込み「ワシに壊れへん新車のポルシェ356を1台作ってくれ」と直訴したことが現代のインターメカニカ356ロードスターの起源であり、世界が認める356レプリカの歴史の始まりでもある。

その男こそ、日本でインターメカニカを販売する「堀井正明」氏。20年間の彼の努力とアイデアにより、形だけはポルシェ356、でも性能はワーゲンビートルの域を超えることが出来なかった従来の356レプリカが、ついに本物ポルシェ356の性能もクオリティも超えた、現代に蘇る新生ポルシェ356を復活させたと言えよう!堀井氏なくしてインターメカニカは語れないのだ!
※堀井正明氏は2009年に他界されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

IM社がすべての生産を終了

ポルシェ356 インターメカニカ レプリカ 空冷インターメカニカ社は時代と環境に適応するために、空冷エンジン→水冷エンジン→電器モーターと進化を続けてきましたが

2022年に入り、すべての車両の生産を終えました。
まだしばらくはアフターによるパーツの供給はありますが、年々厳しくなってくると思われます。

でも、幸いなことに、空冷エンジン車では、多くのフォルクワーゲンやポルシェのパーツの流用が可能ですので、走ることに関して困ることは無いと考えます。

またボディーパーツ等にも多少心配もありますが、国産旧車やマイナーなヨーロッパ車のように部品取り車をもう1台持っていたほうが良い!ということもなく今まで通りで楽しめると思います。